大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和51年(く)217号 決定 1976年10月15日

少年 S・J(昭三四・二・二二生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、少年作成名義の抗告申立書に記載されたとおりであるから、これをここに引用し、これに対して、当裁判所は、次のとおり判断する。

一  抗告理由一は、原判示第二の非行事実(恐喝未遂)につき、事実誤認を主張し、原決定は、「少年が、昭和五一年七月九日午後三時三〇分ころ、横須賀市○○町×丁目無番地所在の○○公園において、かねてからの知人である○屋○(当時一七歳)を偽名を用いて呼び出し、『友達にお金を返すんだから、一万円貸してくれ。』と申し向け、『貸せない。』と断られるや、『お金貸さないのか。』『一二日か一三日の午前一一時ころ○○駅まで一万円持って来い。』『もし持って来なければ、ブッとばす。』などと申し向けて、もしその要求に応じなければ、どのような危害を加えるかも知れないような気勢を示して脅迫し、同人を畏怖させて金員を喝取しようとしたが、○屋が警察に届け出たため、その目的を遂げなかったものである」旨認定したが、少年が○屋を脅かした事実はないというのである。

よって記録を調査して検討すると、右事実は、右記録中の各証拠、ことに、○屋○の司法警察員に対する供述調書および少年の司法警察員に対する昭和五一年七月一五日付供述調書により十分にこれを認めることができる。

少年の主張の要点は、少年が○屋に「一万円貸してくれ。」といつたら、すぐ貸してやるといわれたので、「家の人に怒られないか。」と念を押すと、「平気だ。自分のお金だから、家では怒られない。」というので、「じや、一万円、六日間のあいだ貸してくれ。」と言つただけであるというのである。しかし、○屋○の司法警察員に対する供述調書によると、○屋は前に少年と同じ○○○○製菓に勤めていたが、職場の者に脅かされるので、同製菓をやめ、当時職がなかったのであるから、同人が一万円という金額の金を簡単に貸してやるといつたり、自分の金だから大丈夫だといつたりするはずはない。現に、同人は自分に金がないため、祖母や母にねだつて、その金を工面しようとしたところ、母が警察へ届け出るようにいつて、届け出たことが認められる。また右供述調書によると、少年は、○○○○製菓に勤めていたころ、○屋の帰りを待ちぶせして、顔面を殴打したことが数回あり、同人に対して一回に二千円ないし三千円を貸してくれといい、○屋は少年に五、六回貸したことがあるが、そのうち一回だけ会社を通して返してもらったに過ぎず、○屋は少年をこわがっていたことも認められる。

そうだとすると、恐喝未遂の事実は証拠の上で明らかであつて、犯行の現場にいた少年の連れの一五ないし一六歳の男(抗告申立書によると、「ささう」という男。)を証人として取り調べるまでもない。また、少年の司法警察員に対する供述調書によると、少年は警察官に対して、「私と一緒にいた後輩については、住所も名前も、何をしているかも知りません。」と供述していることが認められるから、警察官が、その点もつとよく調べてみるといつたのに、何の連絡もないというような事情は認められない。

少年の主張は、警察官に対し「僕はそんなことは言つていない。」とはつきり言ったが、前にも似たようなことをしているので、信じてくれず、そのうち時間が長くたち、自暴自棄になり、やつたと供述したというのである。しかし、関係証拠によると、少年は保護司を通じて呼び出しがあつたので、警察に出頭し、○屋を脅した事実を認めたこと、とくに少年の司法警察員に対する供述調書によると、少年が、「只今取調を受ける前に、係の人から、言いたくないことは言わなくてもよいと言われましたが、そのことはよくわかりました。」と供述したうえで、非行事実を認めていることが認められる。

そうだとすると、少年が、警察の取調が長くなつたので、自暴自棄になり、嘘の自白をしたという形跡は見当らない。

なお、少年は、原裁判所の審判の際には、事実をすべて認めていたものである。

原決定には、事実誤認のかどはなく、少年の主張は理由がない。

二  抗告理由二は、原判示第三の非行事実(傷害)につき、事実誤認を主張し、原決定は、「少年は、A、B、C、D、E、F、Gと共謀のうえ、昭和五〇年八月一一日午前雰時三五分ころ、横須賀市○町×丁目×番地所在の飲食店「スナック○○○」店内において、同店に居合わせた海上自衛官○代○樹(当二三歳)、同○崎○一(当二六歳)に対し、「ガンをつけた。」などと因縁をつけ、右両名を同番地先路上に呼び出して取り囲み、同人らの顔面、腹部等を手拳で殴打したり、足蹴りするなどの暴行を加え、よつて右○代○樹に対し加療二週間を要する頭部、顔面、背部挫傷の傷害を、右○崎○一に対し加療一週間を要する顔面、頭部、背腰部、四肢打撲の傷害をそれぞれ負わせたものである」旨認定したが、少年が右○代らに暴行を加えた事実はないというのである。

よつて記録を調査して検討すると、右事実は、右記録中の関係証拠、とくに、D、E、F、Gの昭和五一年八月一三日付司法警察員に対する各供述調書および少年の司法警察員に対する同月一七日付供述調書により、十分にこれを認めることができる。

少年の主張は、仲間のDやBが「あれは店の用心棒だ。」「あいつら、外に呼び出せ。」といつたのに対し、自分は「止めた方がいい。」と忠告し、Dらが相手方を店の外へ呼び出して、殴つているときにも、自分はこわくて見ていただけであり、Dが「お前も殴れ。殴らなければ、お前も殴るぞ。」といつたけれども、自分はこわくて、その場を逃げてしまつたというのである。しかし前記証拠によると、少年自らDら七名に加担して、被害者両名を自ら殴る、蹴るなどしたことが認められる。

少年の主張は、少年は事件の二日後に、右スナックにあやまりに行つたところ、店のマスターから、「Dら共犯者七名は警察につかまったが、君は悪くないのだから、警察につかまつても、私が警察官に言つてあげる。」といわれたが、自分が殴つていないと、いい子になれば、あとで共犯者Fの兄からどのようにされるか、わからないので、警察官に「僕も殴りました。」と嘘を言つたというのである。

しかし、前記関係証拠によると、D、E、F、Gら五名はその場で逮捕され、その日警察官に対し共犯者七名の氏名を明らかにしたが、少年の氏名だけは伏せていたところ、同年八月一三日になつて、共犯仲間に少年もいたことを供述し始め、少年が逮捕されるに至つたことが認められるのであつて、少年が自ら警察に出頭して、自分も共犯であると名乗り出たものではない。また、スナック○○○の経営者である○藤○知の司法警察員に対する供述調書謄本によると、同人が本件共犯者のうちで前から知つていたのはD、B、Gだけであつて、少年の顔は知らなかつたのであり、しかも同人は、本件の際店の中にいると、SPが店へ入つて来て、「店の表で日本人同士がけんかしている。」といつたので、外へ出てみると、すでに警察官が来ていたというのであるから、同人は店の外での暴行の現場を見ているわけではない。そうだとすると、店のマスターが、少年に対して、「君は悪くないのだから、警察につかまつても、私が警察の人に言つてあげる。」などと請けあうはずはない。また、少年の司法警察員に対する前記供述調書を見ると、少年らが相手方を殴る、蹴るなどした時の状況が、非常に詳しく、目の前に見るように記載されていることが認められ、その内容に照らすと、少年が自分でしていないことをしたと述べたような作為の跡は見当らない。

なお、少年は、原裁判所の審判の際には、事実をすべて認めていたものである。

原決定には、事実誤認のかどはなく、少年の主張は理由がない。

三  抗告理由三は、中等少年院送致の処分は著しく不当である旨主張し、家庭の経済事情などを考えると、少年が社会に出て働き、生活費を稼いだり、借金を返したりしなければならず、少年に二月くらいの時間をかしてもらえば、まじめに働くことがわかるから、その機会を与えてもらいたいというのである。

よって、記録を調査して検討するに、

(一)  少年の前歴を見ると、横浜家庭裁判所横須賀支部において、昭和四八年四月に犯した窃盗事件で審判不開始決定を、同年八月に犯した恐喝事件で同じく審判不開始決定をそれぞれ受けたのち、昭和四九年五月より同五〇年五月の間に犯した窃盗、恐喝、暴行、傷害、器物損壊、毒物及び劇物取締法違反(シンナー遊び)、銃砲刀剣類所持等取締法違反、道路交通法違反(無免許運転)事件で、同五〇年八月保護観察処分に付され、さらに同年一二月無免許運転で検察官送致決定を受けたこと(罰金刑に処せられた)。

(二)  少年は、中学卒業後就職したこともあるが、長続きしないで、まじめに働くのはせいぜい一個所で三月くらいであり、とくに保護観察処分になつてのちは、一時まじめに塗装工として働いたこともあるが、やがて仕事が面白くないなどと言つて、○○塗装店へも行かなくなつたこと(米軍基地内での仕事をやめたのは、保護観察中であることが発覚したためで、少年の責任ではないとしても、その後○○塗装店をやめたのは、全く少年の責任である。)。

(三)  少年は、原判示第一の銃砲刀剣類所持等取締法違反の非行事実(少年が、業務その他正当な理由がないのに、昭和五一年四月二六日午後九時四〇分ころ、横須賀市○○町×丁目××番地先道路上において、ステンレス製折りたたみ式ナイフ(刄体の長さ一〇・四センチメートルのもの)一丁を、自己の上衣ポケットに携帯したという事実)につき、職務質問により現行犯として検挙され、同月二六日保護司○上○子のもとに身柄を引き受けられ、その後同年七月九日犯した原判示第二の非行事実(前記一記載の恐喝未遂の事実)により、同月一九日検挙されて、その翌日母親のもとに身柄を引き取られたにもかかわらず、同年八月一一日原判示第三の非行事実(前記二記載の傷害の事実)を犯したこと。

(四)  少年の父は少年が五歳のとき病死し、その後は母に養育されたが、母は少年に対し愛情をもつているものの、少年を厳しく指導する力に欠けていること。少年の家庭には、兄(二四歳)もいるが、この兄も、母に代つて少年を監督指導することはむつかしいと思われること。その他には妹がいるだけで、少年の監督者はいないこと。

(五)  少年は、保護観察に付されたとき、保護観察所から、特別遵守事項として、(イ)、早く就職して、まじめに働き、母を助けること、(ロ)、短気を慎しみ、粗暴な行動はとらないことと定められていたのに、其の後の少年の行動を見ると、これら遵守事項は守られていないこと。

以上の事実が認められる。

このような事情を考えると、確かに、少年が主張するように、少年が社会に出てまじめに働けば、病弱のため手内職しかできない母親の家計を助けることができると思われること、小児喘息で、肺炎にかかりやすい妹も学校の遠足に参加できて、少年の中学時代のように惨めな思いをしなくても済むかも知れないこと、また、少年が裁判所の監督の下でならば、二月間くらいはまじめに働くであろうと思われることなど、少年の主張する色々の点を考慮してみても、今回は、少年に厳しいしつけをし、仕事を長く続けることのできるよう忍耐心を養うために、少年を中等少年院に送致することは、止むをえないものと思われる。原決定の処分は不当であるとは思われず、少年の主張は、理由がない。

よつて、少年法三三条一項により本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 綿引紳郎 裁判官 石橋浩二 藤野豊)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例